言う事をきかせるには動け!
子供が言うことを聞かない。
部下が言うことを聞かない。
世の中にはそんな悩みを持っている人は山程いるのではないでしょうか。
私も管理職についていて、少なからず同じような悩みを持っている。
会社の仲間に同じく管理職のやつがいる。
その人は残念ながら部下達のウケが悪い。
みんな反抗的だし言うことを聞かないとグチってくる。
人が人の言う事を聞くとはどういうことだろうか。
結論、その人の言葉に説得力があるかどうかだ。
説得力とはなんだろうか。
人が人を判断する時、何を言っているか、ではなく何をやっているかを見ている。
言葉ではかっこいいこと言っていても、行動が伴わないとそこに説得力はついてこない。
どんな人でも怒られたり注意されたら腹が立つが、この人から言われたなら仕方ないと思うか、お前が言うなでは天と地の差がある。
子供より起きるのが遅い親に早く起きろと言われ、子供は聞くだろうか。
普段スマホばっかり見ている親に勉強しろと言われて聞くだろうか。
部下にダメ出しをする上司は、部下以上に結果を出さないといけない。
この人は努力している、ちゃんと行動していると認識した場合、人はちゃんと話を聞いてくれるようになるのではないか。
でも、大前提として、人は人の言う事は基本聞かないって思っておくとストレスは軽減されるんだけれども。
松江塾は普通じゃない
新一年生でキラキラしたまっさらな子どもたちが、たったの数年で勉強できる子とキライになる子が生まれる。
理由ははっきりしている。
学校の授業がつまらないから。
これは先生に問題がある場合もあるのかもしれないが、それよりも日本の授業の仕組みに問題があると思う。
要は何のために勉強するのか、頑張った先に何があるのか。やらなかった先にはどういうことが待っているのか。
それを伝えずに、漢字やら算数やら年号やらをただただ詰め込む授業。
そんなものつまらないし苦痛だし嫌になることは明白。
そして勉強は辛くつまらないものになってしまう。
松江塾の授業はそこが違う。
先生の子どもたち相手にも歯に衣着せない物言い。
多少キビシイことでもはっきりと言っている。
こんなことも伝えるんだと最初は少し驚いたが、やはり子どもたちにも現実は早いうちに伝えておいたほうがいい。
人生は誰のものでもない。自分のもの。
結局、勉強しようがしまいがそれは本人の問題。他人は全く興味無いし、手助けもしてくれない。
自分で切り開いて行くしか無い。
そこのマインドを培ってくれるのが松江塾。
覚えると学ぶの違いを認識する。
そして、詰め込み型典型の◯文式や普通の塾ではなく松江塾に通わせようとしている親たちは、そこのマインドが似ている人達が集まっている。
塾にお任せにしておけば成績上がるでしょ〜っていう親はついてこれない。
強制的に親も変わらざるを得ない。
まあ普通の塾で親がこんなブログ書くとかは普通やらないでしょ。
それが普通じゃない塾ってことだよね。
お金の使い方は生き方
お年玉のシーズンである。
1年でこの時期だけは私より子どもたちの財布のほうが重たくなる。うらやましい。
お金の魔力なのか、子どもたちの行動が面白い。
お金を持つと気持ちの余裕ができるのか、正月明けからやたら饒舌になっている下の娘ちゃん。
ショッピングセンターに行ったときに私が商品を見ていると、買ってあげようか?とか、コーヒーおごってあげようか?とか。
だが、まだ金銭感覚が培われていないため、ペース配分がわかっていない。
そんな豪遊したらあっという間に無くなるよってアドバイスをしてあげてる。かわいいもんだ。
下の娘は自分の欲望に正直なのだが、上の娘のお金の使い方が面白い。
私が子供の頃はお年玉は全て自分のために使っていた。ゲームにおもちゃにと物欲の塊だったような気がする。
ところがうちの上の娘はあまり自分のためにお金を使わない。
わりと人のために使うのだ。
家族の誕生日、クリスマス、そういったイベント事に自分のお金を使ってサプライズする。
昨年のクリスマスなんて自腹でスーパーで材料を買い、クリスマスケーキを作っていた。
そういう時のためにおこづかいをこっそり取っておいている。
素晴らしいと思うし、感心させられる。
お金と幸福度には相関関係が無いという研究結果があるそうだ。
要はたくさんお金を持っていても、一瞬は幸せかもしれないが、長くは続かないという。
また、自分へのご褒美とかで高価な買い物をしても、それもあまり幸福には繋がらないらしい。
それよりも、他人のためにお金を使うことのほうが幸福度は上がるという。
昔誰かが言っていたのを思い出した。お金は人とのつながりに使いなさいって。
情けは人の為ならずのことわざにもつながってくるものなんだろうな。
反省
年末年始の仕事の忙しさにかまけてブログ更新サボってしまった。
子供たちに淡々と継続とか言いながら。
どうだい、大人たちも継続は難しいのだよ。
そんな中、毎日怒られながらでもやっている子供たちに敬意!
旧態依然、あ然
小学生の夏休みや冬休みには宿題は付き物である。
冬休みの宿題には年賀状を書くというミッションがある。
私はいつも疑問に思う。なぜこのSNS隆盛のこの時代に、年賀状という呪縛を教えるのか。
コミュニケーションの取り方なんて多種多様のこの時代に。
出していない人も増えているし、辞めたいと思っている大人も多いというのに。
そこには大人の利権が絡んでいるんだろう。年賀状が無くなると困る人達がたくさんいるということなんでしょう。
子どもたちが本当に可愛そうだと思う。
デジタルネイティブの子たちには年賀状の意味がわからないと思う。
当時のコミュニケーションツールが手紙しかなかった時代のもの。しかも、明治から始まった文化で歴史もそんなに深くない。
私は年賀状自体を批判しているわけではない。それを旧態依然として教育として取り入れていることに疑問を呈している。
AIなどが生まれ、不可逆的な技術が日進月歩の現代で、これからの日本を、世界を担う子供たちに、消えゆく文化の年賀状を教えている。
もっと教えなくてはならないことがたくさんあると思うのに。
お金は銀行に貯金、老後は年金だけで生きていく。これは今までのスタンダード。
でも、お金の管理をこの方法しか知らない人は、これからの日本で間違いなく生活が苦しくなるのは目に見えている。
お金の流れ、経済の仕組み、株式や投資の仕組み。これらは早いうちから学ぶべきものだと思っている。
でも、今の学校は教えてくれない。
そんなことよりも年賀状の書き方ってことだ。
インターネットの仕組み、チャットGPTとは、AI、5Gなど、先端技術として子供の頃から触れておくべきことがたくさんある。
でも、そんなことよりも年賀状の書き方だ。
日本の中枢にいる政治家の先生たちの平均年齢を見ればおそらく上で書いたことなんてほとんどの人がわからないんだろうね。
そんな方々が子どもたちの教育をを決めていると思うと本当に恐ろしくなる。
今回は少しヒートアップしてしまいました。
自己嫌悪。
税金は大切に使いましょう
ボーナスのシーズンである。
そんなに高額をもらっているわけではないが、ホクホクな気分にさせてもらえる。
だが、税金のなんとまあ高いこと。
人様が必死で働いてもらえたお金をホントに簡単にサラリと取っていくよねぇと毎回思ってしまう。
東京が高校無償化を打ち出した。
考え方は様々だが、私は全部を歓迎していない。
親の経済力のせいで、勉強したくても良い高校に行けないような家庭にはとても良い制度だと思う。
子供の可能性を潰すことがなくてそこは良かったなと思う。
だが、言い方は悪いが、勉強も好きではない、やる気もない、そんな子供たちもとりあえずタダだし学校行っとくか、みたいことが起きる。
そんな子供の親も、中卒じゃ仕事もないしタダだし学校行かせとけ、みたいなことが起こる。
自分のお金でそんな理由で学校に行くのなら、それはどうぞご自由にだ。
だけれど、無償化となった場合には、そこには税金が投入される。
そこが許せない。
高校は義務教育ではない。
勉強が好きではない子供たちは普通高校ではなく、専門学校などで生きていくための技術を手を入れたほうがよっぽどいいと思う。
親も持っている財源を最大限に活かす方法を考えなくなってしまうのではないか。
ごーまじ先生もおっしゃっていたが、楽して手に入れるものに将来どんな価値があるのだろうか。
とにかく、私達から搾り取った大切な税金は生き金として使ってほしいと願う。
子育てのシステムエラー
私はモチベーション、根性、気合いで物事を乗り切ろうとすることには、以前のブログで書いたように、それでは無理だと思うし、あまり効果を感じない。
朝寝坊する子供 なんで起きないの!目覚ましかけないの!と怒る。
子供は起きないんじゃない。起きれないんだ。
気合が足りないとか、やる気が足りないとかではない。要は睡眠時間が足りていない。
起きれないのは夜寝るのが遅いから。なら早く寝ればいいではないかと思うが、結局、早起きするための仕組みづくりができていないから、気合で無理して起きても長続きしない。
うちの4年生の娘は松江塾の音読を今まで夜やっていた。夜と言っても9時過ぎることも。
当然学校も行ってるし、そんな時間からは疲れちゃっててもうグダグダ。読めない漢字は出てくるし、イライラMAX。それにつられて奥様もイライラMAX。
結局やらないで寝ちゃうなんて日々が続いていた。
なら学校帰ってすぐやればいいと思うが、その時間は奥様は仕事で不在、音読するにしても、1人では読めない漢字があるからやりたくてもできなくなってしまう。
結局奥様が隣についてあげなければできないので、必然的に夜になってしまっていた。
要は音読をするためのシステムが破綻しているということだ。
なので、生活の仕組みを変えてみた。
朝活。学校の支度をするさらに15分前に起きて、音読をする。頭もリフレッシュされてるし、奥様もいる。
そして夜、娘と奥様の音読の攻防時間がなくなった分、早く寝ることができる。
その仕組みに取り組んで約1ヶ月。なんとかそのシステムはうまく回っている。
人は必ず失敗をするもの。
でも、失敗やミスは仕方ない。それは人間だから。でもそのミスを極力減らすための仕組みを考える。
勉強をやらないのは子供が悪い訳では無い(例外はある)毎日淡々とやるためのシステム作りを親が用意してあげられてないからだ。
親の役目は子供をガンガン叱って鞭で叩くことではなく、最適な仕組みを作ってあげ、無理なくこなせる環境を作ってあげることだと思っている。
更にいうなら、親が完璧な仕組み作りをしてあげた上で、子供が最高のモチベーションで取り組んだらどうなるだろうか。
うちの合言葉は、歯を磨くように、トイレに行くように、お風呂に入るように、当たり前に音読をしようと言っている。
仕事においても、できないのは気合が足りないからだ、と思う前に、成果を出せる仕組みを作れてないからではないかと考えると、少し人に寛容になれる気がする。