旧態依然、あ然
小学生の夏休みや冬休みには宿題は付き物である。
冬休みの宿題には年賀状を書くというミッションがある。
私はいつも疑問に思う。なぜこのSNS隆盛のこの時代に、年賀状という呪縛を教えるのか。
コミュニケーションの取り方なんて多種多様のこの時代に。
出していない人も増えているし、辞めたいと思っている大人も多いというのに。
そこには大人の利権が絡んでいるんだろう。年賀状が無くなると困る人達がたくさんいるということなんでしょう。
子どもたちが本当に可愛そうだと思う。
デジタルネイティブの子たちには年賀状の意味がわからないと思う。
当時のコミュニケーションツールが手紙しかなかった時代のもの。しかも、明治から始まった文化で歴史もそんなに深くない。
私は年賀状自体を批判しているわけではない。それを旧態依然として教育として取り入れていることに疑問を呈している。
AIなどが生まれ、不可逆的な技術が日進月歩の現代で、これからの日本を、世界を担う子供たちに、消えゆく文化の年賀状を教えている。
もっと教えなくてはならないことがたくさんあると思うのに。
お金は銀行に貯金、老後は年金だけで生きていく。これは今までのスタンダード。
でも、お金の管理をこの方法しか知らない人は、これからの日本で間違いなく生活が苦しくなるのは目に見えている。
お金の流れ、経済の仕組み、株式や投資の仕組み。これらは早いうちから学ぶべきものだと思っている。
でも、今の学校は教えてくれない。
そんなことよりも年賀状の書き方ってことだ。
インターネットの仕組み、チャットGPTとは、AI、5Gなど、先端技術として子供の頃から触れておくべきことがたくさんある。
でも、そんなことよりも年賀状の書き方だ。
日本の中枢にいる政治家の先生たちの平均年齢を見ればおそらく上で書いたことなんてほとんどの人がわからないんだろうね。
そんな方々が子どもたちの教育をを決めていると思うと本当に恐ろしくなる。
今回は少しヒートアップしてしまいました。
自己嫌悪。