Wheelをホイールと読む日本人

先日、家族で川越に遊びに行った。

 

 

買い物や食べ歩きはもちろん、ガラス作り、せんべい焼き、箸作りなど、体験型のお店も増えていて、相変わらず楽しい街だ。

 

 

今回、娘たちは初めて箸作りを体験してみた。

 

 

木を選び、カンナで削り、ヤスリで整える。

とても楽しい良い体験だった思う。

 

 

川越には外国人観光客もかなりたくさんいて、その箸作り体験も海外の方で賑わっていた。

 

 

そこで働く1人の若い女性がいた。まだ20代前半くらいか。

 

 

可愛らしく愛想の良い人だったが、驚いたことにとても流暢に英語を話す人だった。

 

 

こちらで日本語で話していたと思ったら、次の瞬間外国人の方と英語で話している。え〜とかあ〜とか切り替えタイムが全く無くとても感動してしまった。

 

 

 

英語が特別では無くなってきたんだなと思った。

 

 

 

私は昔から日本人の英語に対する姿勢がキライだった。

 

 

学校の授業で、発音が上手い子をクスクス笑うあの感じ。

 

 

テレビ番組で、わけわからない英語でどこまで通じるかを試し、みんなで笑うあの感じ。

 

 

 

海外に行って勉強したいとか言うと、意識高い系〜とか言ってバカにするあの感じ。

 

 

 

英語できなくて当然みたいなあの感じ。

 

 

自分は英語できません!これを恥じること無く堂々と笑いにしているような風潮をずっと恥ずかしいと思っていた。

 

 

自分ができないことでも、皆んなもできないからと安心していたのだろう。

 

 

 

ネットが普及して、世界との垣根が無くなった現在ではやはり語学は絶対。

 

 

 

日本語で発信されたモノしか読めない、聞けないでは世界の広がりが違う。

 

 

少しキビシイ話になるが、今後は日本より海外で働いたほうが稼げる状態になりつつある。その場合でも言葉ができれば選択肢は増える。

 

 

 

将来的には英語は武器にはならなくなるだろう。英語ができる人がほしいなら、海外の人を雇えばいい。だが、その人とコミニケーション取れないような人材はいらなくなる。要はできて当然ということ。

 

 

 

松江塾で習っているフォニックスはそれの第一歩。

 

 

今の小学生は努力した人としなかった人では、大人になった後の格差はかなり広がるよ。

 

 

 

と、英語が苦手だった私が思うのであった。

 

 

【ちなみにタイトルで書いたホイールはどういう思考回路でそう読んだのだろうか?謎】

 

 

 

 

 

 

自分の夢を壊すのは自分

下の娘は4年生なのだが、将来の夢が溢れ出ている。

 

ディズニー大好きなので、ディズニーランドのキャストさんになりたい。ムーミン大好きなのでフィンランドに住みたい。おしゃれな街なので横浜に住みたい。沖縄に移住したい。

 

 

将来が明るい子どもたちにとって、これらは全て他愛ない妄想ではない。全て叶う夢だ。

 

 

だが、本気でこれらの夢を叶えようとしたとき、もうすでに今の小学生からの道がつながっていることを伝えなくてはいけないと私は思っている。

 

 

キャストさんになるには当然英語が必須になるだろう。フィンランドに住むにも当然語学が必要。

横浜に住むにも、高い家賃を払える収入を得る仕事に付く必要があるし、仕事の少ない沖縄に永住するにも、そこで稼いでいく力をつけなくてはいけない。

 

 

その力をつけるには、今の小学生の状態から培っていくしかない。

 

 

人間は20歳くらいに急に生まれ変わることはできない。子供の頃勉強しなかったやつは大人になってもしない。現在は過去からの積み重ねで、全てつながっている。これはどんな大人も後になって気づく。

 

 

それではかわいそうだ。

 

 

残念ながら下の娘は自主的に勉強することをあまりしない。奥さんが強く言ってもそれでもやらないことが多い。

それでは楽しい人生は待っていないと、なんとか気づかせてやりたい。

 

 

 

先日、多少キツいこと伝えた。今のままではやりたいこと何一つ叶わないよと。

 

 

 

いいよ~夢は願えばなんでも叶うよ~と無責任な励ましをしても意味がない。

どう伝わるか怖かったが、ある程度の現実は教えてやらねばならないと思う。

 

 

 

大人になってから戦う武器は、自分の過去に行ってきたこと以外に持っていない。

 

 

 

勉強が全てだとは決して思わないが、勉強はできたほうが人生の選択肢は格段に広がるよ。

 

 

この親心はなかなかわかってもらえないんだけどね。

 

苦手な人ほど情報ほしいよね

私の勤めている会社で、会社の風土を改革しようという動きがある。それにちなんで他の部署の人達の話を聞くというミッションが私には課せられている。

 

ある女性の事務員さんが話したことがタイヘン興味深く、考えさせられるものがあった。

 

 

その女性が務める事務所内にテレビがあるのだが、ある男性社員が視聴したあとにテレビを着けると、必ずテレビの音量が0になっているという。

 

 

事務員さんはその後に観ようとするとき、必ず音量を上げなくてはいけなくて、とても面倒くさかったとのこと。

 

 

それが何度も繰り返されるうちに、なんでそんなことするんだ?人に聞かれてはいけないものでも観ているのか?めんどくさいんですけどー!っとずっとモヤモヤした状態だったらしい。

 

 

そんなものすぐに聞けばいいじゃないか、と思われるが、そこが問題でその男性社員の仕事ぶりに対し、事務員さんはあまり良い感情を持っておらず、あまり会話もしなかったらしい。

 

 

 

そんな状態が2年も続き、もう我慢できなくなってしまった事務員さんが勇気を出して聞いてみたところ、その理由は実に単純で意外なものだった。

 

 

男性社員はオーディオいじりが趣味の方で、オーディオの電源を切るときは、余計な電気の負荷をかけないために音量を0にして切るのが当たり前なんだそうだ。そのクセでテレビも同じようにして消していたという。

 

 

たったそれだけのことだった。

 

 

たったそれだけのことを聞くのに2年もかかった。そしてその事に対して、勝手に相手が良からぬことをしているからだと決めつけ、さらに相手の印象を勝手に悪くしていた。

 

 

実にもったいない時間を過ごしたと思う。

 

 

確かに男性社員はあまり仕事ができるタイプではないが、決してだらしない人ではなかった。

 

 

人とのコミュニケーションは難しい。でもコミュニケーションを取らなかった場合のリスクも大きい。それが少し苦手な相手だとさらに傷は深くなる。

 

 

今回の教訓は、勝手に相手をこうだと決めつけたこと。そして、きちんと話をしなかったこと。

 

 

苦手な相手ほどよく知る必要があると感じたお話でした。

 

 

 

 

 

今の自分の賞味期限

ブログをやっていると、やはり気になってしまうのが星の数と読者数。

 

 

私の家族は奥様も6年生の娘もブログをやっている。

 

 

娘のブログはなんだか調子良いらしく、読者数と星はそこそこ多いみたいで、それを私と妻に報告してくる。

 

 

見られている、ということは自己肯定感と承認欲求を満たしてくれるみたいで、本人も自慢げだ。娘のブログに反応してくれる方々には感謝をしたいと思います。本当にありがとうございます。

 

 

 

親の私が言うのもなんだが、小学生らしからぬ文章と内容で、面白いと思う。

世間の方もそんなギャップを面白がっていただいてるのではないだろうか。

 

 

 

だが、人や物の価値は生もので、年齢や性別、時代やタイミングによって大きくなったり、急激に消えてなくなったりする。

 

 

 

娘のブログを面白がってもらえるのは、小学6年生が書いていることに価値が生まれているのであろう。

 

 

 

だが、残念ながらその価値も娘が成長するに連れ、どんどん下がっていくかもしれない。

 

 

 

それは本人には全く責任は無く、仕方のないこと。世間とのニーズと本人の価値がマッチしなくなったからだ。小学生が書く友達の不満と、大人が書く不満では内容が同じだったとしても意味合いが違う。

 

 

 

子役で人気だった役者が、大人になってから消えていくのは、その時の輝きを捨てられずいつまでも当時の自分の価値を捨てられなかったからなんだと思う。

 

 

 

企業でもそうだ。ヒット商品を出した企業は、そのヒットにとらわれてしまい、もう価値が無くなっているものなのに、いつまでもすがってしまう。いい時を忘れられない。そしてさらに業績を悪くしていく。

 

 

イノベーションのジレンマというらしい。

 

 

 

なので、みんなが楽しく読んでもらっている今に満足せず、人気はそのうち無くなってしまうかも、ということをいつも心に置いておき、語彙力、文章力、情報を集める力、または人間力を鍛えてもらい、年齢性別を問わずファンができるようなブログ、要は価値を提供できる力をつけてほしいと思う。

 

 

 

私も、若い頃の武勇伝をいつまでも年下相手に自慢しているようなオヤジにはならないよう、今の自分が生み出せる価値を提供できるようになりたい。

 

 

あ、武勇伝なんてそもそもなかったわ。

安全?危険?!

6年生の娘の友達の印象がコロコロ変わりなかなか興味深い。

 

少し前まであの子は嫌いだ何だ言ってたのに、実は好きなアイドルが一緒で意気投合して、急にいい子だったよなんてことも。

 

最終的には仲良くなりたい?人気があって羨ましい?の裏返し的なものも多く、結果話してみるといい子だったってことが多々あるようだ。

その逆も然りだが。

 

 

ところで、初対面の人の第一印象は会って3秒で決まるらしい。優しそう、明るそう、怖そう、マジメそう。

 

 

そして面白いのが、この人苦手かも、という感覚。会って3秒で感じるこの感覚。

 

 

相手に対してなんの情報も無いのに、人はなぜそう思うのか。

 

 

人間が第一印象決める情報源はほぼ顔らしい。目つき、髪型、口つき。その後に続くのが話し方だそうだ。

 

 

人間の直感力は統計学に近いもので、歩んできた人生の経験から、この人は自分の人生経験の中で、どの類のカテゴリーに入るか瞬時に判断しているそう。

 

 

動物的なカンで、この人は安全か?危険か?近づいていい人か?離れるべきか?を測っているということだ。

 

 

 

この直感は私の人生の上で、かなりの確率で当たっている。

危険警報が鳴った人が、印象が逆転していい人だった~ってことはあまり無い。

 

 

 

本当は先入観無しで誰とでもフラットで付き合えるのがいいんだろうけど、アラーム鳴っちゃうから無視できない。本能がコイツには近づくなと警告を出している。

 

 

なので、警報が鳴った人とのコミュニケーションは少し慎重にして、結果やっぱりなとなれば静かに距離を置くようにしている。

そこを無理して近づこうとするからストレスになり、悩むようになる。

 

 

 

でも子供たちには、学校、その他のコミュニティに参加して、極力色んな人と関わって、この子はどんな子なのかをより深く測れる人になって欲しい。

 

 

学校の人間関係はなかなか大変なものもあるけど、その訓練の場、自分を成長させる場だと思えば少しは気持ちが軽くなると思う。

 

 

 

ところで私の第一印象はいつどこに行っても誰に聞いても「優しそうな人」つまりは無難な人ということだ。つまらん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タンタンタンタン淡々と。

久々のブログ更新。

仕事が忙しかったのもあって、サボってしまった。

 

奥様に話すと、日頃の出来事でもなんでもいいんだよと言われる。

 

僕のブログのポリシーは、なるべくためになる情報を入れたいと思っているし、私の日頃の出来事なんて世間様には興味ないだろうと言うことでボツ。

 

それにしてもブログ毎日続けるのは本当に大変だ。

 

ネタを考えるのが本当にタイヘン。

 

人生には行動力が必要とよく言われるが、実際には何か新しいことやろうと決めて、行動を起こす人はたったの25%しかいないらしい。

 

さらに、それを継続させることができる人は5%に満たないという。

 

いかに続けることが難しいか。

 

私はブログにに関しては25%に入ったが、継続の方には入れなかった。

 

3日坊主という言葉があるが、実際には21日間継続することができれば習慣化できるそうだ。

 

さらに言うと、思考は180日で習慣化するという。

 

勉強もダイエットもジムも何もかも、始めるのはたやすい。それを継続できないから結果が出ない。

 

だから以前のブログにも書いたが、行動力をモチベーションに頼ってはいけない。モチベーションは絶対に21日間も続くわけがない。

 

 

とにかく淡々とやり続けることが大切だ。

 

 

ブログサボったやつに言われてもねぇ

 

 

 

 

 

 

言霊の力

モノの言い方で人は自分に暗示をかけることができるらしい。

 

言葉には力が宿ると昔の人は気づいて、それにコトダマと名前まで付けた。センスあるよねぇ。

 

 

勉強で言えば、算数は嫌いだ嫌いだと言っていると、自分は算数は嫌いなんだと暗示をかける。とすると、人間は嫌いなものに頑張ろうとはしない。だってキライだって確定しちゃったんだから。

 

 

それを言い換えて、算数はニガテだ、とする。苦手なものに対しては、人間なんとなくどうにかしたいという気持ちが湧いてくる。

克服したい、しようとする気持ちが生まれる。

 

 

そう考えたときに、子供に対して、親が算数は嫌いだよね~って言うことって、とっても危険だと気づいた。親が子供に暗示をかけている。

 

子供は自分は算数嫌いなんだと親から言われ、暗示をかける。

 

 

これはいけない。

 

 

やらない子、できない子には、やればできる!克服できると暗示をかけてやらないといけない。

 

 

日本人の謙遜の精神は子供の自己肯定感を下げているんだそうだ。

 

 

親同士の会話で、うちの子は駄目な子で〜って謙遜する。それを聞いた子供は、自分の親がそう思っていると聞かされる。自分は駄目な子なんだと。親は決してそう思ってないのに、謙遜の精神で言わざるを得ない。

 

 

誰一人として幸せになっていない行為である。

 

 

海外では自分の子供はスゴイと自慢するそうだ。ダメなところより良いところを披露する。

だからアメリカ人などは自信に溢れた人間が生まれる。

 

謙遜、空気読みは日本の美徳かもしれないが、コトダマの強さ、怖さを少しいい方向に使いたいと思う。