言霊の力

モノの言い方で人は自分に暗示をかけることができるらしい。

 

言葉には力が宿ると昔の人は気づいて、それにコトダマと名前まで付けた。センスあるよねぇ。

 

 

勉強で言えば、算数は嫌いだ嫌いだと言っていると、自分は算数は嫌いなんだと暗示をかける。とすると、人間は嫌いなものに頑張ろうとはしない。だってキライだって確定しちゃったんだから。

 

 

それを言い換えて、算数はニガテだ、とする。苦手なものに対しては、人間なんとなくどうにかしたいという気持ちが湧いてくる。

克服したい、しようとする気持ちが生まれる。

 

 

そう考えたときに、子供に対して、親が算数は嫌いだよね~って言うことって、とっても危険だと気づいた。親が子供に暗示をかけている。

 

子供は自分は算数嫌いなんだと親から言われ、暗示をかける。

 

 

これはいけない。

 

 

やらない子、できない子には、やればできる!克服できると暗示をかけてやらないといけない。

 

 

日本人の謙遜の精神は子供の自己肯定感を下げているんだそうだ。

 

 

親同士の会話で、うちの子は駄目な子で〜って謙遜する。それを聞いた子供は、自分の親がそう思っていると聞かされる。自分は駄目な子なんだと。親は決してそう思ってないのに、謙遜の精神で言わざるを得ない。

 

 

誰一人として幸せになっていない行為である。

 

 

海外では自分の子供はスゴイと自慢するそうだ。ダメなところより良いところを披露する。

だからアメリカ人などは自信に溢れた人間が生まれる。

 

謙遜、空気読みは日本の美徳かもしれないが、コトダマの強さ、怖さを少しいい方向に使いたいと思う。